双子座のミニー、ミニマリストで軽やかに生きたい

当たり前のことができない、常識もない自分に嫌気がさして、楽に生きようといろんなモノや行動、思考を捨てています(現在進行中)。ホロスコープなど占いも好きです。

基本的にがらくたばかり

メルカリを続けています。

断捨離にやる気があり、振込に手数料がかからない売上金1万円のボーダーをクリアしている今のうちにと、ちまちまやっています、メル活。

 

わたしは服は基本的に着倒してしまうので、ほとんど出すことがありません。

おもに出品しているのはコスメ系、アクセサリー、書籍、アーティストグッズなど。

 

小さいものでも、使わないものはどんどん処分したいので、売れそうなものはとりあえず出してみていますが…

新品で買うと高額で、ちょっと使っていたり使用感があるから格安で出すものなんかは速攻で売れました。たとえばシャネルやディオールのコスメとか音速?ってくらいの速さでSOLD。

メッキとかじゃない2~3万円くらいで購入したゴールド天然石系のアクセサリーも、がんがん使っていたものでも格安だと即売れます。

あと、好きなバンドは今も変わらず大好きなのですが、グッズ収集には興味がないため、ツアーグッズや読み物など、ライブで使ったり読み終わったらお譲りしています。最近久しぶりにツアーをしていて人気が再燃しているようで、速攻で売れます。

その代わり元値が安いまたは無料で貰ったものなどはあまり売れませんね。たとえタダ同然でも見向きもされません。。閲覧すらされない。

 

たとえ自分が大事に大事に所有していたものでも、他の人にとってはがらくたなことのほうが多いですね。

逆に自分にとってのがらくたが、誰かのお宝だったら嬉しいけれど、あわよくば…はあまり叶わない。がらくたはがらくただという現実をつきつけられるだけという。

 

 売れた場合でも、売れたことはうれしいけれど、一度わたしの手に渡ったことでこんなに価値が下がってしまうのか……と考えさせられてしまいます。

ものを所有することの無意味さをつきつけられる瞬間です。

どれだけ、がらくたに囲まれているか。

 

これから持っていたいもの

・生活していくためにたくさん使うもの

→生活必需品、と書いてしまうとどこまでが必需品?となるので、「自分が確実にたくさん使うもの」と定義づけたい。

・生活に活力を与え続けてくれるもの

→使用頻度の多少にかかわらず。だけどできるだけ、「たくさん使うもの」を「活力をくれるもの」にしたい。そして買って間もないころだけでなく、継続的に「買ってよかったなぁ」と思えるものがいい。

・かつ、手入れをすることが苦にならないくらい好きなもの

→ズボラなので、手入れをしなければいけないものが増えるのは苦痛でしかない。好きな子しか面倒をみてあげられそうにありません。

・できるだけボロボロになるまで使い続け、天寿を全うさせてあげられるもの

→フリマアプリの発展のおかげで、使わないものを売りやすくなりましたが、そもそも好きで寿命が来るまで使い切れるものだけ持っていれば、お金と手間のコストが減るわけで。

 

そうはいっても、買い物の判断ミスというのは減らせてもなくなりません。

いけると思って買っても、使いだすとなんか違った…があるのはしょっちゅう。

そのつもりで買わないといけないなと思います。

財産を投げ打つというと大げさですが、もし買い物に失敗したときにそれを買ったがためにお金が不足していて、買い替えなどでリカバリーしたくてもできなかったり、ショックで魂が抜けてしまうほどの(自分にとっての)大金を使わないようにしたいです。

ものを買うことによって行動に大幅に制限がかかったり、お金が減ることを心苦しく思う生活はもう嫌です(経験済み)。

 

心から欲しいものは、安心だったりします。

「欲しくなったら、いつでも買えるわ。でもいらない。」と女王様気分に浸れるのが理想です。

お金がある安心感を買えるならばそれが一番欲しいです。本当に。

財布にお金をたくさん入れる。

お金と仲良くしたい。

切なる願いです。

 

人生を振り返ってみると、お金が欲しいといいながら、お金に嫌われる行動ばかりしていたと思います。

 

財布がパンパン。万札以外で。

小銭、レシート、クレジットカード、キャッシュカード、ポイントカード。

これらでわたしの財布はしょっちゅうパンパンになっていました。

見た目からしてよくないですよね。いくらブランド財布を持とうとも、絶対お金持ってなさそうにみえるし、だらしないやつにみえると思います。

 

ちょこちょこATMから引き出して、その日暮らし。

生活費を入れておく口座があります。

そこから、1万円とか5000円くらいずつ、日々の生活費をなくなり次第ちょこちょこ引き出していました。大金を持っているのが怖かったのと、たくさん引き出すと、すぐなくなってしまうと思っていたからです。

でもいまいち何につかったかもよくわからないまま、お金がどんどん減っていく感じがして地味にストレスでした。

また、土日の前にお金を引き出すのを忘れて、休日にまとまった出費があったりすると、クレジットカードで決済するか、一時的にリッチブック(貯金)口座から引き出していました。生活費を入れている口座が土日に手数料の発生する口座だったため、わずらわしく感じていました。

あまり計画性のない、その日暮らし感の強いお金の出し入れだったと思います。

 

貯金、節約という言葉に拒否反応。

子供時代のみじめな記憶が尾を引いていたからでしょうか、節約も貯金も大嫌いでした。のちに節約=目利き、貯金=リッチブック と勝手に改名したくらい、今でも苦手な響きです。

自分を華やかに見せるためのおしゃれ費、リア充な飲み会、やること盛り沢山で疲れているから楽をするために外食や惣菜購入…といったふうにお金を使っていたら、余りなんてまったく出ず、普通に生活してるだけのつもりなのにいつもお金が不足していて、あぁなんてわたしは貧乏なんだろう…と悲しい気持ちになっていました。

貯金や生活費に関する話題が会話に出るだけで、ちゃんとできていない後ろめたさもあり嫌でした。

 

財布の使い方を変えました。

カオスな経済状況や若気の至りを過ぎ、徐々に収支が(以前と比べると)まともになってきたのを機に、そんな自分とおさらばしたいと思い、今行動を変えているところです。

まず財布の使い方を変えました。

小銭は一時的にしか入れない。極力小銭入れにうつし、マメにATMに入金する。

小銭貯金は以前からやっていましたが、メインの財布には基本的に小銭は入れないものとしました。おつりが出た時に一時的に収納して、まめに小銭入れにうつします。そして小銭入れにあるお金はMUFJのATM(どこのATMでも小銭に対応しているので小銭貯金にもってこいの銀行です)に入金しています。

お財布が痛まなくていい感じですし、小銭だけでも口座にこまめに貯めているとある程度の額にはなります。

月の生活費をまとめて入れる。万札が財布にいつもいる。

ちまちま生活費を引き出す方式をやめて、お金が入ったらリッチブック行きのお金は即リッチブックに入れ、それ以外はすべて財布に入れることにしました。

(自分的には)大金を持ち歩くことになりますが、大金を怖がらない、そして万が一これが盗まれても大丈夫と思える自分になるための訓練をしている感じです。以前はリッチブックが限りなくゼロに近かったりしたので、「このお金がなくなったらわたし終わる」とビビッて口座に入れていたのですが、盗まれても生活費くらいはしのげるリッチブックになったので…。

今まで土日にお金を引き出し忘れたときや高額商品を買うときは、カードで払うかリッチブック口座から一時的に引き出したりしていたのですが、今は基本的に財布の中からすべての出費をまかなっています。「この出費は適正…?」とか、「これだけ使ったな、これだけ今月は使えるんだ」ということが目に見えてわかります。今使えるお金の総額が一目でわかるので、数字の感覚が薄いわたしにはありがたいです。

それと、もうひとつわたしにとってはすごく大きな収穫が。「今すぐゲンナマで買えるわ」と値段にビビらず、ある意味自信がついたことで、かえって「買う気になれば買えるけれど、いらないわ」と思うことが増え、慎重な判断をするようになったと思います。

万札がつねに財布にいるのは気持ちがいいです。

ちなみに財布をあけたとき、諭吉さんの顔がすぐ見えるように入れています。諭吉さん→一葉さん→英世さんの、逆背の順(?)に並んでもらっています。

わたしはお金に困ってなくて、豊かだよ~というポジティブな暗示になっています。

そうするとお金たちにも気持ちよく過ごしてほしい、と思いやりを持つ余裕が出て、お金以外のもので窮屈な思いをさせたくなくなります。

ポイントカードを断捨離しました。

今までも、ポイントカードはほとんど処分してしまっていました。数少ない残ったポイントカードは提携先の多いTポイントとクレジットカード(ポイントカードを兼ねるもの)のみ。Tカードに関しては、提示を求められる機会が比較的多く、聞かれたときにありませんというのが面倒だったからというのが今まで残していた理由です。

ついにTカードも処分しました。昔住んだ地域はファミマが多く、TSUTAYAの会員でもあったので使い出がありましたが、今はレンタルもしないし近所にファミマだけ特別多いわけでもありません。まったく困りませんでした。

ポイント付きクレジットは1枚だけ持って、もう1枚は家に置いています。

レシートは即処分。

毎日家で財布を開く、そしてこまめに掃除。ごみは捨てるという。家をきれいにするのと同じ原理ですねえ。

お財布をきれいに保って、お金と仲良くしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SNS&自分の感情との付き合い方について

何度目かわからないけど、最近SNS疲れなのかもしれない。

mixiから始まり、一通り流行ったSNSのアカウントは作ってきたほうだと思います。

SNSとの付き合い方は10年くらい答えは出ないまま、あちこちのアカウントがそのままになっています。

時々「SNSイヤイヤ期」が訪れつつ、なんとなく続けているものが多いのですが、最近またそのイヤイヤ期の到来を感じています。

マイナスな感情が出てくるのです。

 

最初は楽しい。だんだん嫌になる。

どのSNSでも共通して言えるのが、最初はとても楽しいツールなことです。

目新しさもありますし、最初は好きなものの情報だけが流れてくるツールとして使えたり、ごく少数の仲良しな友人とだけつながっている状態だったりで、居心地が良く楽しみます。

 

それが、徐々に友人の数が増えていくと、共通の友人からつながりが増えていき、気が付くと子供のころから大人になるまでのありとあらゆるつながりがごった煮になった世界になります。

誰に対しても同じ顔を見せているわけではありません。

各所でキャラがブレながら生きてきました。

基本的には内弁慶なタイプなので、そうなるとすぐ言いたいことも言えないこんな世の中になります。内弁慶であろうとしゃべらずにはいられない双子座にとって、そんな環境はポイズンでしかありません。笑

SNSの多くは他の人がシェアしたい情報が流れてきます。最初は好きな情報だけキャッチしていればよかったものを、知りたいとも思っていなかった情報が無作為に目に入ります。わたしの脳みそは容量が小さく、要領も悪いようで(はい、ヨウリョウでかけました、すみません←)大事なことを考える余裕が減るようです。

 

一番しんどいのは自慢

 

そして、環境の変化に伴い、昔仲が良かった人でも疎遠になってしまったり、距離を置きたくなったりもします。

きっとお互い様なのですが、幸せ全開記事を素直にいいねと言ってあげられない時期ってあるんですよね。自分がとても辛かったり、悩んでいたりする時期に、「私はこんなに幸せなのよ!」とアピールされると、なんだか萎縮した気持ちになります。

そのくせ、自分も人生を謳歌している風のことを書いたり、自分をよく見せたくて一番写りのいい写真を選んだりして、自己顕示欲を満たして人に嫌な気持ちを与えてきたと思います。

小さい人間だなーと思いますが、昔はこれでも結構無理して祝福したり褒めたりうらやましがるアクションを取っていたんですよね。

だからひょっとしたら自慢したい人にとっては都合の良い存在だったかもしれません。そうすると、ますますそういうタイプの人が寄ってくるんですよね。でも友達がいないよりはいいか、と思っていました。

そういうタイプは往々にして華やかなことも多いので、そのグループにいれることが良いことだとも思っていましたから。

 

自分をせこい人間だと思わせたくないがために、懐が大きい人ぶって、挙句の果てにじわじわ消耗して嫌な気持ちになっていました。

なんだかそのほうがせこい気がしてきたんです。

 

「わたしはせこくて小さくプライドもある、めんどくさい感情を持つ一人の人間だ!」と認めてしまった方が楽になりました。

そして、見たらイライラしたり悲しくなる記事や褒めたくない記事からはまず逃げる、目にしても見てないふりをするようになりました。

某FBやつぶやき場はほとんどの友人をタイムラインに表示しないようにして、タイムラインテロを減らしました。自分が見たい時に見たい人のページを見に行く仕様にしました。

某写真SNSは、インテリア等で参考写真を探す用の別アカウントを作って、基本そちらを見るようになりました。

 

それで「SNSに興味がない人」という感じでやり過ごせるようになったのですが、たまーに某写真SNSの個人名アカウントを開いてみると、最近めんどくさい人がいて。。。その人の記事は見たくないなと思ったのがきっかけで、アカウント自体も消してしまいたいと思うようになりました。

 

気にしなきゃいいというのは重々承知していて、でも何を気にしてしまうかって個人差があることなんですよね。結婚後他人だった人と生活する中で実感してきました。

そして人の正直な感情ってへたに蓋を閉めてしまうと、あとあと大爆発してしまうのも何度も実感しています。

実際に表に出す行動はソツがないに越したことはありませんが、悲しい!むかつく!という自分から湧き出た感情は大事にしていいと思っています。

そしてときには表の行動でも本気で怒ってもいいと思うようになりました。

 

こんなことを書きつつ、長年怒りの感情とうまく付き合えませんでした。

 

もっとも身近な大人として見ていた母と、性格が似ていると思っていたのに似ていなかったこと、それが怒りとうまく付き合えなかった原因のひとつだと思っています。

わたしの母は怒りを口にしないで流すタイプですが、わたしは気が弱いのは似ていても、近い存在には感情を口にしないといつまでも整理できないタイプだったのです。

それを、余計なことは言うものじゃない、マイナスなことを口にするとさらにマイナスになる…といった、親の一種の洗脳から言葉にするのを我慢していたので、結局いつもフツフツしていました。汗

母より良くも悪くも言動が目立ってしまうタイプなので、これはもう生まれ持った性質と思うしかないと思います。

 

SNSの話とはズレてしまいましたね。

 

まず自分を大切にできる環境づくりをしていきたいと思っています。

じゃないと、大事な人も大切にする余裕がなくなっちゃうから。。。

そのために、ノイズになってしまうSNSは、もっともっと削減していいかなと思っています。

今以上に、大切なものやことに時間とこころを使っていきたいです。

 

 

 

地価を見ながら考える

知らなかった土地の価格

引っ越しの物件を見ることにはまっていたのですが、最近土地の公示価格を見るのにはまっています。

 

結構上がってる(ただし首都圏に限る)

首都圏では土地の価格、着実にあがっているんですね。マイホームに興味がなかったため今まで知らなかったので面白いです。

ブランド力のある土地名でも、意外とお手頃だったり、治安があまりよくなさそうなエリアでも繁華街に近いと高かったりして、イメージにとらわれていたなあと気づかされることも多々です。

賃貸を借りる場合でも、地価を知っていると多少はぼったくり感、もしくはお得感に気づくことができるかと思います。

イメージも大事ですが、現実的に考える訓練をしないと、と思って。

 

首都圏が軒並み昨年よりも上がっているのに対し、わたしの故郷(地方です)の地価は下落を続けています。

というか、そもそも土地の価格がここまで桁が違うとは…。わたしのポケットマネーで小さい家が建てられるんじゃないかというほどのお手頃ぶりに震えています。

こりゃ、実家は売っても二束三文、というか不用品の処分費用とどっちが高いでしょうねぇ。実家、いま汚屋敷なんですよ。いつまであの状態なんだろうと思うと、頭が痛くなってきます。。。

 

郊外への引っ越しはやはり今のところ考えられず、小さくても都心で、という気持ちは今も強いです。それにしてもこの価格差はなんなんでしょうね。やっぱり土地ってこの世にある売り物の中でも、値幅が相当あるものですねぇ。

当たり前のことを当たり前に言ってるだけなんですけど汗、でもほんと安易に家を買うなど出来ないなと思いました。

スケールが大きく、考える問題も多く、失敗したとき再挑戦が断トツで難しい。難易度MAXなお買いものではないですか!

 

資産がたんまりあれば別ですが、地方育ちの2人でちまちまやっている夫婦なもので、「限られた資産と収入の中で、どこに投資してどこを妥協するか?なにが自分たちにとっての幸せなのか?」といつも考えています。

そうやって考えた時、

大きい豪邸→いらない

大家族→いらない

移動の楽さ→ほしい

マイカー→いらない

居住エリアの雰囲気の良さ→ほしい

家のきれいさ→あるとうれしい

部屋の広さ→そんなになくていい

収納スペース→ほしい(新たに家具を買わずに作り付けで済ますのが理想)

天井の高さ→ほしい

商店街→あるとうれしい

八百屋さん→あるとうれしい

巨大ショッピングモール→いらない

 

やっぱりこんな感じで。妥協するようで十分わがままですね、夫婦そろって。

 

昔住んだ地域

実家を出た途端、引っ越し人生に

生まれて18年間、住民票の住所が変わることがありませんでした。

親元を離れてから今まで引っ越したくてもできなかった分を取り返すように引っ越しています。

 

東京近郊の某県某市→東京23区の南部→地方の中都市→東京23区の西部→アジア某国→東京23区中部と移り住んでいます。

 

昔住んだところがバブルしてる

今まで住んだエリアのうち、知らない間に地価がとても上がっていた地域があります。

土地やマンションについて興味が薄かったので、いったい何があったの…?と浦島太郎状態なのですが、わたしが住んでいた時代よりうんと人口が増え、マンションも増えたようです。

当時すでに再開発がすすめられていたので、タワーマンションもいくつか完成していました。「あーいいなータワーマンション。共有スペースのお庭もとってもおしゃれ。スーパーも下にあったりして、なんて素敵なお住まいなの!」と憧れたものです。

かゆいところに手が届く交通網が整備されていて、わりとあらゆる主要ターミナルに一本で行けたりして、混んでいるのはしんどいけれど、当時は若くミーハーだったので「〇〇駅まで1本で〇分で行けちゃう!超便利!」と思っていました。

 

当時ですら、朝は人が多すぎて窒息しそうだと思っていたのに、現在はそれどころではなく、とくに通勤ラッシュなどもう大変なようで。。。

 

周辺駅も含めて、引っ越し人生初期にとてもおせわになったエリアでしたが、このあたりにはもう住めないだろうな、と思いました。

 

・人が多いのがいや

・通勤ラッシュをはじめつねに混んでいる電車がいや

・タワマンの階層マウンティングがいや(ないわけはないと思う)

 

・なぜか東京都心より地価が高い(ごく一部の地域ですが)

・このタワマンたち全部老朽化したらどうするの!

地震怖い(ここよりももっと湾岸のタワマンのほうがリスクがありそうですが)

・一度交通がマヒしたら、歩いて帰るにはつらい距離

 

・タクシーで23区に行くには金銭的につらい距離(寝坊などのやらかしリカバリーがきかない…←ダメ人間)

・人が急に増えて、余裕がなくどこか殺伐としている雰囲気に耐えられない

 

これからも家さがしをしながら、今までの住まいを振返っていきたいと思います。

 

 

メルカリに久々にトライしています

メルカリ、しばらく売りたいものもなく放置していましたが、「暮らしのダウンサイズ化」を掲げてからゆるく再開しています。

 

最初にいくつか出品したものは、定価がそこそこ高いもの、名の知られたブランドものの消耗品などで、出したそばから売れました。

それでいい気になって、これもいけるっしょという感じで安価なものも出してみましたが、全く売れない…見向きもされません泣

やっぱり、いくら使わなかったとはいえ、自分がまた必要になったら定価で買ってもいいかなと思えるようなものが売れやすいとしみじみ実感しています。

自分の不用品が誰かに必要としてもらえるならそれは嬉しいことですが、都合よく需給が一致するとは限りませんね。

 

ひとまず売上金の振込に手数料がかからないように、1万円の利益を目標にちょこちょこやっていましたが、とりあえずもう少しで達成できそうです。もっと売れるものがある方なら10万とか普通に利益出してますよねー。すごい。

やりだすと、家の中のあらゆる物が売り物に見えてきてしまうメルカリ病(?)に軽くかかっていますが、ほかに出すとしたらノベルティ系でしょうか。

 

思い出は胸に刻んでおくのがいいですね。

今はデジタルが発達してくれたおかげで、紙の写真もあまり保管しなくてもよくなりましたし。

 

引き続き、年内はもう少しメルカリ活動がんばります。

住まいの利便性について

久しぶりに乗った路線の電車にて

週末、件の大好きなアーティストのライブを再度観に行くため、首都圏の某県に電車で向かいました。

 

そこは私が以前住んでいたことのある市です。

土日公演だったため、2日間連続で往復したのですが、非常に疲れました。

今住んでいる地域に比べて、電車内も街にも人がとても多くて、電車に乗っている時間も長く感じられ、ライブ自体は涙が出るほど楽しかったのですが、行き帰りでぐったりしました。。。

最終日の帰りは、おなかがすいてお弁当を買ったものの、食べられそうな場所が駅付近で見つけられなかったので、グリーン車に乗ってお弁当食べました(でも600円くらい払う価値があると感じられるくらい快適でした)。

 

久しぶりにこの路線を使って、確かに都心に比べて家賃は安いし、働く場所がこの近郊ならば住む価値はあると思いましたが、我が家は労働拠点が都心の夫婦で2人暮らしなので、多少家賃が高かろうが、家が狭かろうが、やはり都心に近いに越したことはないなぁと思いました。

 

今より若いころ、そこに住んでいられたのは

若かったからなんだかんだ気力体力がまだあったことと

首都圏に初めて住んだときだったので都会はこんなものか、と思っていたことと

学生だったので、時間やルールにあまり縛られていなかったからでしょう。

事実、遅刻寝坊はわたしの人生の中でそこに住んでいた当時が断トツで多かったです。学費をいったいどれほど無駄にしたのだろうというくらい…学士をとれた、学歴がついた という点にだけ使われたような学費でした…。

遊びも学校もバイトも全部やりたくて、でも体力の配分がへたくそで、洗濯などの家事はつねに滞っていて、ほんとうにだらしがない学生時代でした(反省)。

 

さすがにもうそういう暮らしはしたくありません。きちんと家事が回るだけの体力は温存したいですし、勢い、若さはどんどんなくなっていきますし…。

 

今回、人口が増える人気の自治体に赴いたことで、思っていた以上のドーナツ化現象を実感しました。

おそらくですが、バブル前後の時代だともう少し都心から遠方に一戸建てがバンバン建てられ、人口が増えたのだと思いますが、現在はこのあたりに若いファミリーなどがどんどん移り住んでいるんだろうなというふうに感じました。

 

わたしも夫も車社会の田舎出身なもので、10年以上住んでもどうしても朝の通勤ラッシュに長時間耐えられそうにありません。

 

やはり「暮らしのダウンサイズ化」に年内目いっぱい取り組み、社宅を離れてもなんとか都心に居を構えられるように頑張ろうと思いました。

 

*気を悪くされた方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。へたれのイチ意見として流していただければ幸いです。。。