双子座のミニー、ミニマリストで軽やかに生きたい

当たり前のことができない、常識もない自分に嫌気がさして、楽に生きようといろんなモノや行動、思考を捨てています(現在進行中)。ホロスコープなど占いも好きです。

アラサー女性の新卒就活時代は振り返ると悲惨だった

すごく間が空いてしまいました。

 

実は、ここ半年で新しいブログを始めたんです。そちらはワードプレスでやっていて、割とパブリックな方向でやっています。こちらのブログは続けるか否か、という感じなのですが。。。

 

パブリックな情報ブログも良いですが、心情吐露ブログもそれはそれでいいと思うんですよね。

これらは用途は別物ですが、情報収集のための検索で、バッチリ欲しい情報が出てくるありがたさもあれば、同じこと考えてる人がいるー!という楽しみ方もブログの醍醐味の一つだと思うので。

 

 

まだどういう方向性でやっていくか決めていませんが、これは書き残しておこう、と思うことを記録しておきたいと思います。

 

 

最近30代になって、自分も同年代の周りも当然10年前とは状況が変わっています。

10年前はハタチですから、高校を出て働いている人等でなければ、大概学生ですしね。

 

・シングルで働いている

・シングルで働いていない

・結婚して働いている

・結婚して子供がいる

・離婚して子供がいる

・結婚して子供のいない家庭の主婦をしている

・その他

これ書きながら、こういうのを羅列するとき、つい無意識のバイアスがかかることに気付きました。

なんのバイアスかというと、何かやってないとダメみたいな思いこみというか、なんとなく色々やっている人は頑張っていて偉いというイメージ。⇦色々やっていない側の人間であるにもかかわらず、です。選択肢を並べるとどこかそう感じている自分がいます。

こうして世間の偏見は生まれていくのかもわからないですね。「みんな大変でも頑張ってるんだから、あんたも頑張りなさいヨ、それくらいやれるでしょ」とつい思ってしまうのが人間というものです。仕方ない。

 

 

まぁそれはさておき。

たまたま、雑誌で30歳前後の読者の転職白書を見たんです。彼女たちはわたしと同世代です。

 

それで、職種や年収、勤務時間やインタビューなどが載っていて非常に興味深かったのですが、この世代、特に女性は新卒就職でえらい安く買い叩かれていたんだなと感じたんです。

 

例えばわたしの年齢で4年制大学までストレートにいった人の場合、就職活動をしていたのはおよそ2009年から2010年。入社が2011年です。

…結構地獄を見た世代ではないかと思います。

なぜなら、就職活動はリーマンショックの翌年スタートで、たとえ新卒でも軒並み採用数が絞られていたからです。

特にわたしの卒業学部は金融機関をとりあえず受ける人、受かったらいくという人が多いのですが、リーマンショックの影響が大きいせいか、比較的大量採用する金融機関でも、「この人は受かるだろうな」と同じ学生でもわかるような人しか採用されませんでした。

 

 

ちなみに「この人は受かるだろうな」と思える人は振り返ると結構単純で、

・一定の学歴

・主体的に動ける(これ超大事だと思った。「わたしこれやるね」って言える人)。

・大人の礼儀を理解している(超大事。面接受ける側はある意味お客さんだから採用担当者は丁重に扱ってくれるけれど、礼儀のある人間かすごく見られている。部活の先輩とかにしごかれるか、普段から大人と丁寧に接していて身につくものかと思う)

・緊張があっても笑顔を作ることができ、ハキハキ話せる

・物怖じしない(ように、事前に準備することも大事。緊張しいとかアドリブが効かないタイプなら開き直って準備する)

・これを頑張りましたと言える話をきちんと準備し、深堀りして話せるようにしている(実際の頑張り度よりも、聞かれた時にとりあえず言えないと意味ない)

・主体性はありつつ、素直に言うことを聞きそうな雰囲気(ハイ!頑張ります!と屈託ない笑顔で言える。使いづらそうな人はめんどくさいのでできれば入れたくない)

・上に挙げたようなもの全体を通して、自分を入社させるメリットを、嫌味なく面接官に感じさせることができる

 

 

こういう人は、不景気でも大手企業から内定をもらっていました。

これらの要素は、今振り返って言語化してみたもので、渦中にいた当時は、なんとなくわたしとは違うけど、何が違うのかわからなくて苦しかったです。

タイムマシンに乗って当時の自分にそっと耳打ちしてあげたいです。

 

 

大人との交流があまりなくとも育ってしまう現代社会。

わたしも結構放置されて育った人間で、礼儀とはなんぞや、主体性とはなんぞや、状態で、まぁ常識というものが欠如しているクチでして、それらはいまでも不足していると思っています。大人を観察して覚えている最中です。今だに。

 

学生でこういうのを理解できている人って、実はすごいと今は思います。両親からきちんと教育を受けているとか、大人の多い環境に身を置いていたり、部活で身につけたとか…

 

そんな人もいるのに、そして親の後ろ盾がない分きちんと稼げなければいけない立場なのに、順当に就職できない、わたしはダメな人間。クズ。と思っていました。

様々な世代の人と話していると、結構「まぐれ」や「おこぼれ」で入社しちゃった、という人はゴロゴロいるんですよね。出世欲もあまりないし、大して仕事もしないけど、のんびりやれているなんて人も組織の中には存在している。

 

2010年前後数年は、そんな人を入れる余裕がまるでなく、入社した後も震災の直後でしたから、営業活動もままならないエリアがありながら企業を維持していくのにみんな必死だったと思います。いつの時代も企業存続は大変ではあるけれど、特にしんどい時期に、何もわからない状態で社会に放り込まれたわけです。

 

「お給料は大してあげられないし、昇給もあまりさせない。研修指導もさほどお金も手もかけられないけれど、企業が生き残るために死ぬ気で頑張ってもらわないと困る」

 

こうダイレクトに言う人はいないと思いますが、雇う側からすると、まっさらなわたしたちを昇給やボーナス、出世ルートといったわかりやすい「エサ」なしで仕事を覚えさせ、動かさないといけない時代だったのではないかと今は思います。

 

そこで出てくる「やりがい」「成長」…これらは決して悪い言葉ではないのですが、物質的な「エサ」を与えずこれらの言葉でカモフラするやり方にはトラウマがあります。食べ物を与えられず霞を食べているような気持ちになります。

 

雑誌の話に戻りますが、新卒で入った会社の待遇が軒並みひどい。大学、あるいは大学院まで出ているにも関わらず、本来大卒を対象にしていなかったであろう募集に応募するほかない状況だったんですね。(今もそれは続いていると思いますが、コンビニに人が集まらないなど人手不足の企業もまた多いですね)

 

で、特に女性の採用は本当に渋られていたんだと感じましたね。直接利益を生まない、コストセンターになる一般職を採用する余裕はないところが多かったため、一般職志望の女性の行き場が少なかったですし、総合職は業種にもよりますが、この人はぜひ欲しい!と思った女性はともかく、どちらにしようか迷った場合に、退職リスクや出産育児等での復職支援コストの高い女性より、男性を雇った方が効率的だと考える企業は多いでしょう。

ある程度余裕がないと、企業アピールとしての女性活用もできなくなります。多分。

 

結果、一般職志望だった女性が非常に待遇の悪いいわゆるブラック企業の総合職に行ったり、総合職志望でも契約社員だったりなど、「なぜそうなった」という身の振り方をした人が想像以上にいるんだと思いました。

 

特に、しっかり頑張りたいと思った人よりも、「それなりの仕事ぶりで、それなりのお給料、ゆるく頑張る」という選択肢を選びたかったのに選べなかった人は、そこで思考が停止して変な選択をしがちだった模様。

 

「自分だけじゃなかったんだー!」と思いました。自分の周りも、良い会社に入った人もいますが、あまり就活がうまくいかなかった人が圧倒的に多いです。

一応、学生の母数も多く、いわゆる大手企業に卒業生がそれなりにたくさんいるような学校でも、です。

 

新卒入社して、苦しくて、先が見えなくて、生活が楽になる見込みがない数年を過ごしていました。

それは自分が無能で世間知らずでダメ人間だからだと思っていました。まあそれも大きな理由ではあるのですが、あの頃は死んだような気持ちで生きていた若者が実はたくさんいたのだな、と初めて実感しました。

 

比較的恵まれた家庭で育った友人が多かったため、たとえ安月給だろうが、待遇が悪かろうが、実家暮らしだったり親の援助でなんとかやっている人が周りには多かったので、なんだか自分ばかりしんどいと思ってしまっていたのです。

 

アラサーの皆さん、強く生きましょー。