奨学金、借金、ローン。持たないものはますます持てない現実。
奨学金を一部繰り上げ返済することにしました
わたしは、大学時代に奨学金を借りていました。
4年間で元金480万円、利子あり。20年間、月約23000円返済のプラン(金利は固定。景気が谷底の年に卒業したため、過去10年でたぶん一番高い金利で固定されている…)。
ある時、少しばかり余剰資金が出てきたから投資などをしようかと考えました。
でも、その前に奨学金の残額いくらだろ?投資云々よりまずそっちを返すべきかな…と思い、卒業から今までの返済額をスカラネット(日本学生支援機構のポータルサイト)で調べてみました。
恥ずかしながら、利子の計算方法をよくわかっておらず、毎月引き落とされているからいいでしょくらいの感覚で、残金などをほとんど真面目に見たことがなかったんです。
あれ、150万円くらいしか減っていない…。
トータルで180万円以上払っているはずなんだけど、もしかして想像以上に利子を払っていたのでは?と遅まきながら気づきました。
そこで日本学生支援機構に電話をかけて、支払い予定の内訳(各支払い日の元金と利息、残元金が一覧になっている書類)を送ってもらいました。そこでようやく利子の計算方法を認識するという…!
元本の残金が330万くらい残っているので、いくら他のローンより低金利と言われてもまだまだ利息が多いです。23000円払って、4000円くらい利息になるんですよ…!
330万にかかる利息分以上に投資で稼げるかといったら…まぁ投資よりまず利息をできるだけ減らそうや、となります。
昔の自分比で少しだけ真人間になったわたしは、繰上げ返済をしていくことにしました。
まずは300万台というのが生理的にも嫌だったので、200万台に持っていくために40万近く繰り上げ返済。
ちょっとまだ一括返済するお金はないのですが、数回分繰り上げするだけでも万単位の節約になります。
夫の口座と別に自分名義でお金は寄せておきたいですが、とりあえず100万円程度確保すれば、万が一何かあっても即詰むということはないかな、と判断しました(昔は数十円しかない事態がしょっちゅうあったのですよ…)。ほんとうはもっと手元に欲しいですけどね。ちょっとバランス見ながらやっていきたいです。
やばい時代を振り返る
就職後、3年目までは一人暮らしをしながら返済していました。
2万円台の支出って、当時は死活問題でした。
きちんとしている子なら、まだもう少しまともな状況だったと思うのですが、当時のわたしといったら、借金持ちの自覚もなくパッパラパー。
お金の使い方もわからなければ、家計簿をつけることも続かない。
親からもせめて家計簿はつけなさいと言われていたんですが、どうしても続かなかったのは、現実に向き合うともう死んでしまいそうだったからだと思います。
辛さや苦しさを、友人との飲みなどで紛らわす日々。
大学時代の友人って、割とお金に困っていない子が多かったんです。
遊び方も知っているような、楽しい人々。
しかし!その子たちに合わせてやっていたら、たちまち生活が立ち行かなくなりました。
奨学金は滞らせたことがないのですが、クレジットカードでキャッシングやリボ払いをして生活していたこともあります。
本来は高金利の他のキャッシングをするより先に、低金利の奨学金の返済を待ってもらうように相談するべきだったのですが、学生支援機構に相談したくない、借金の相談を人にするのが怖いし、自分でも直視したくないという気持ちから、人を介さなくてもいいやり方でやり過ごそうとしてしまったのです。
カードの負債は100万とかにはなりませんでしたが、60万くらいには一時期なっていたでしょうか。
そのときしていた仕事では体も壊してしまいそうだし、そのわりにお給料が安い。
仕事が忙しすぎて、貯金もなくて、仕事をやめたり転職活動をする余裕がない。
そんな現実を直視したくなくて、お酒やお友達との遊び、食の無駄遣いやプチ旅行…など、少額の浪費でごまかしていました。
完全に詰む生活でした。本当、ハイブランドをローンで買ってしまうとか高額趣味がなかっただけまし、というレベル。
結婚して、色々ありましたがとりあえず人並みに暮らしていけるようにはなりました。
物入りで個人口座のお金がなくなってやばいタイミングはありましたが、生活できなくて詰むことはありませんでした。
ひとりで自活して暮らせるほどの生活力は持ち合わせていない、ということはよくわかりましたね。
まぁ基本的に見栄っ張りなんです。生活水準やスタイルが変わっただけで、それは今もあまり変わらないかも。
でも、楽しさや見栄の前借り生活ばかりしていたらいつまでも自分のところにお金が集まってくれないし、豊かさやゆとりも生まれない。
前世のカルマか…?と思うレベルでお金を愛せず愛されない人生を送ってしまっていたけれど、
お金を自分のところに残したり、人に投資をして貸した時より多く返してもらえる側に回らない限り、そういうお金の使い方に自分がシフトしない限り、永遠にハムスターのような気持ちでカラカラに乗りつづけて疲弊しながら生きるほかない。
それは嫌!と思えるようになったことが、自分的には進化です。
がんばります。
アラサー女性の新卒就活時代は振り返ると悲惨だった
すごく間が空いてしまいました。
実は、ここ半年で新しいブログを始めたんです。そちらはワードプレスでやっていて、割とパブリックな方向でやっています。こちらのブログは続けるか否か、という感じなのですが。。。
パブリックな情報ブログも良いですが、心情吐露ブログもそれはそれでいいと思うんですよね。
これらは用途は別物ですが、情報収集のための検索で、バッチリ欲しい情報が出てくるありがたさもあれば、同じこと考えてる人がいるー!という楽しみ方もブログの醍醐味の一つだと思うので。
まだどういう方向性でやっていくか決めていませんが、これは書き残しておこう、と思うことを記録しておきたいと思います。
最近30代になって、自分も同年代の周りも当然10年前とは状況が変わっています。
10年前はハタチですから、高校を出て働いている人等でなければ、大概学生ですしね。
・シングルで働いている
・シングルで働いていない
・結婚して働いている
・結婚して子供がいる
・離婚して子供がいる
・結婚して子供のいない家庭の主婦をしている
・その他
これ書きながら、こういうのを羅列するとき、つい無意識のバイアスがかかることに気付きました。
なんのバイアスかというと、何かやってないとダメみたいな思いこみというか、なんとなく色々やっている人は頑張っていて偉いというイメージ。⇦色々やっていない側の人間であるにもかかわらず、です。選択肢を並べるとどこかそう感じている自分がいます。
こうして世間の偏見は生まれていくのかもわからないですね。「みんな大変でも頑張ってるんだから、あんたも頑張りなさいヨ、それくらいやれるでしょ」とつい思ってしまうのが人間というものです。仕方ない。
まぁそれはさておき。
たまたま、雑誌で30歳前後の読者の転職白書を見たんです。彼女たちはわたしと同世代です。
それで、職種や年収、勤務時間やインタビューなどが載っていて非常に興味深かったのですが、この世代、特に女性は新卒就職でえらい安く買い叩かれていたんだなと感じたんです。
例えばわたしの年齢で4年制大学までストレートにいった人の場合、就職活動をしていたのはおよそ2009年から2010年。入社が2011年です。
…結構地獄を見た世代ではないかと思います。
なぜなら、就職活動はリーマンショックの翌年スタートで、たとえ新卒でも軒並み採用数が絞られていたからです。
特にわたしの卒業学部は金融機関をとりあえず受ける人、受かったらいくという人が多いのですが、リーマンショックの影響が大きいせいか、比較的大量採用する金融機関でも、「この人は受かるだろうな」と同じ学生でもわかるような人しか採用されませんでした。
ちなみに「この人は受かるだろうな」と思える人は振り返ると結構単純で、
・一定の学歴
・主体的に動ける(これ超大事だと思った。「わたしこれやるね」って言える人)。
・大人の礼儀を理解している(超大事。面接受ける側はある意味お客さんだから採用担当者は丁重に扱ってくれるけれど、礼儀のある人間かすごく見られている。部活の先輩とかにしごかれるか、普段から大人と丁寧に接していて身につくものかと思う)
・緊張があっても笑顔を作ることができ、ハキハキ話せる
・物怖じしない(ように、事前に準備することも大事。緊張しいとかアドリブが効かないタイプなら開き直って準備する)
・これを頑張りましたと言える話をきちんと準備し、深堀りして話せるようにしている(実際の頑張り度よりも、聞かれた時にとりあえず言えないと意味ない)
・主体性はありつつ、素直に言うことを聞きそうな雰囲気(ハイ!頑張ります!と屈託ない笑顔で言える。使いづらそうな人はめんどくさいのでできれば入れたくない)
・上に挙げたようなもの全体を通して、自分を入社させるメリットを、嫌味なく面接官に感じさせることができる
こういう人は、不景気でも大手企業から内定をもらっていました。
これらの要素は、今振り返って言語化してみたもので、渦中にいた当時は、なんとなくわたしとは違うけど、何が違うのかわからなくて苦しかったです。
タイムマシンに乗って当時の自分にそっと耳打ちしてあげたいです。
大人との交流があまりなくとも育ってしまう現代社会。
わたしも結構放置されて育った人間で、礼儀とはなんぞや、主体性とはなんぞや、状態で、まぁ常識というものが欠如しているクチでして、それらはいまでも不足していると思っています。大人を観察して覚えている最中です。今だに。
学生でこういうのを理解できている人って、実はすごいと今は思います。両親からきちんと教育を受けているとか、大人の多い環境に身を置いていたり、部活で身につけたとか…
そんな人もいるのに、そして親の後ろ盾がない分きちんと稼げなければいけない立場なのに、順当に就職できない、わたしはダメな人間。クズ。と思っていました。
様々な世代の人と話していると、結構「まぐれ」や「おこぼれ」で入社しちゃった、という人はゴロゴロいるんですよね。出世欲もあまりないし、大して仕事もしないけど、のんびりやれているなんて人も組織の中には存在している。
2010年前後数年は、そんな人を入れる余裕がまるでなく、入社した後も震災の直後でしたから、営業活動もままならないエリアがありながら企業を維持していくのにみんな必死だったと思います。いつの時代も企業存続は大変ではあるけれど、特にしんどい時期に、何もわからない状態で社会に放り込まれたわけです。
「お給料は大してあげられないし、昇給もあまりさせない。研修指導もさほどお金も手もかけられないけれど、企業が生き残るために死ぬ気で頑張ってもらわないと困る」
こうダイレクトに言う人はいないと思いますが、雇う側からすると、まっさらなわたしたちを昇給やボーナス、出世ルートといったわかりやすい「エサ」なしで仕事を覚えさせ、動かさないといけない時代だったのではないかと今は思います。
そこで出てくる「やりがい」「成長」…これらは決して悪い言葉ではないのですが、物質的な「エサ」を与えずこれらの言葉でカモフラするやり方にはトラウマがあります。食べ物を与えられず霞を食べているような気持ちになります。
雑誌の話に戻りますが、新卒で入った会社の待遇が軒並みひどい。大学、あるいは大学院まで出ているにも関わらず、本来大卒を対象にしていなかったであろう募集に応募するほかない状況だったんですね。(今もそれは続いていると思いますが、コンビニに人が集まらないなど人手不足の企業もまた多いですね)
で、特に女性の採用は本当に渋られていたんだと感じましたね。直接利益を生まない、コストセンターになる一般職を採用する余裕はないところが多かったため、一般職志望の女性の行き場が少なかったですし、総合職は業種にもよりますが、この人はぜひ欲しい!と思った女性はともかく、どちらにしようか迷った場合に、退職リスクや出産育児等での復職支援コストの高い女性より、男性を雇った方が効率的だと考える企業は多いでしょう。
ある程度余裕がないと、企業アピールとしての女性活用もできなくなります。多分。
結果、一般職志望だった女性が非常に待遇の悪いいわゆるブラック企業の総合職に行ったり、総合職志望でも契約社員だったりなど、「なぜそうなった」という身の振り方をした人が想像以上にいるんだと思いました。
特に、しっかり頑張りたいと思った人よりも、「それなりの仕事ぶりで、それなりのお給料、ゆるく頑張る」という選択肢を選びたかったのに選べなかった人は、そこで思考が停止して変な選択をしがちだった模様。
「自分だけじゃなかったんだー!」と思いました。自分の周りも、良い会社に入った人もいますが、あまり就活がうまくいかなかった人が圧倒的に多いです。
一応、学生の母数も多く、いわゆる大手企業に卒業生がそれなりにたくさんいるような学校でも、です。
新卒入社して、苦しくて、先が見えなくて、生活が楽になる見込みがない数年を過ごしていました。
それは自分が無能で世間知らずでダメ人間だからだと思っていました。まあそれも大きな理由ではあるのですが、あの頃は死んだような気持ちで生きていた若者が実はたくさんいたのだな、と初めて実感しました。
比較的恵まれた家庭で育った友人が多かったため、たとえ安月給だろうが、待遇が悪かろうが、実家暮らしだったり親の援助でなんとかやっている人が周りには多かったので、なんだか自分ばかりしんどいと思ってしまっていたのです。
アラサーの皆さん、強く生きましょー。
うまくいかないこと。うまくいきやすいこと。
ホロスコープをのぞいてみると…職業、適職、財運など見えてきますが
私の場合、
稼ぐ部屋→星無し
労働の部屋→星無し
職業の部屋→家庭、主婦的な星
となっております。。。
※ついでに恋愛の部屋→星無し です。。。
自覚はあります。
もうずいぶん昔から、ださくてお金がなくて田舎者なことがコンプレックスでした。
いけててお金持ちで都会的になりたいと思ってもがいていました。
これはほんとのわたしの人生じゃないみたいな焦燥感を抱いていました。
ださいのはさておき、お金がなくて田舎者は父の選択によって回避できたことでは…という感覚がどうしても抜けませんでした。それも含めて運命だとしても。
一代前の選択がこんなにも自分の人生に影を落とすのか…!と絶望してしまったりもしました。
結婚して戸籍と名字が変わり筆頭者が夫になってからは祓われたような感覚を覚えていますが。。。
しかし、結婚前にそんなコンプレックスを脱するためにしていた努力は空回りすることが多かったです。
それは、
・有名大学に行く
・国家資格を取る
・結婚しても復職しやすく収入をたくさん得られるようにする
・自分で自立して稼ぐ
(でもキラキラしてたい、モテたい)
といったアプローチです。
これってまさにホロスコープが空っぽのお部屋で頑張らなきゃいけないことばかりで、しかも人一倍の努力が必要なものです。わたしの能力だと、まさに女を捨ててというか、それくらいの覚悟がないとできないというか…現実できませんでした。
有名大学に行くことは第二志望になってしまいましたが太陽水星双子座の言語パワーを使ってなんとかしのいだような。
しかしその先はごまかしがきかない。
おまけに、そんな将来の方向性を決めていく時期にリーマンショック→民主党政権誕生→東日本大震災という景気悪化の要因が重なり、ただでさえ就活に難儀するような世間知らずの田舎者は爆死状態だったのです。
キャリア、やりがい、○○と△△の両立、女子力…そんな言葉をうのみにしてどんどん疲弊し、自己投資という名のもとにただでさえ足りていないお金を投げうち、四方八方追い詰められている大ばか者でした。
世の中は冷たいなと思いました。ただみんながいいと思うことしてるだけなのに、なんでこんな目にあうのだろうと思っていました。
あとからホロスコープについて知っていくにつれ、星を無視すると、必要な努力の量が半端なくなり、それを超えられるだけのエンジンを積んでいればいいかもしれませんが、ガス欠起こして動けなくなるのが関の山だなと実感しました。
世間的に、現代の社会的には良いとされないような、あるいは貨幣価値として還元されなさそうな性質が強い人もいます。
わたしの場合女性の社会進出を叫ばれて、ミーハーな双子座が反応しがちなんですが、職業の部屋は主婦チックだし、金銭的なところでわたしが強い星を持っているのは、遺産ないし夫の収入の部屋なのです。。
だからでしょうか、夫が稼いだお金も、自分が稼いだお金も、それ以外の臨時収入であっても、わたしにとって「お金はお金」という感覚なんですよね。
親のお金とか、旦那さんが稼いだお金で生活するのが心苦しいという感覚は昔から薄いし、自分で汗水たらして稼いだお金だから大事にしようとかも特に思わないし、逆に自分で稼いだお金だから好きに使っていいとも特別思いません。いまも自分の収入はあり、お金はあるにこしたことはないと思っていますが、自分の収入であることへのこだわりがありません。
財源がどこであっても余裕があれば使ってもいいし、余裕がなければ使わないという感覚です。
職業婦人であることが求められている昨今の世の中では、そういう職業的なものや働いて稼ぐことにエネルギーがわいてこなかったりしてどうも生きにくいのですが、それでも比較的落ち着いて生活が出来ているのはひとえにこのハウスの星パワーかなと思います。
逆に夫は実務能力や働く能力が発揮しやすい星を持っていて、社会的パワーの差を感じてうらやましくもありますが、ありがたく思っています。
また断捨離、心機一転といった、一種の破壊と再生のテーマはわたしのほうがたくさん持っていますし、ASCやIC、MCの配置をみるとファッションやインテリアなども、わたしのほうがこだわりが強く(シンプル、だけど洗練されていることへのこだわりがやたらと強い)担当した方がうまくいきそうです。世間的に見てどうとかでなく、自分たちの中での役割分担ができて、より良い暮らしができるようになるといいなと思います。
わたしの木星
ホロスコープについてです★
木星は発展、拡大を意味する星です。
そのため木星の位置を知ることはどんな行動が自分にとって開運につながることかを知るチャンスだと思います。
わたしの木星は、おうし座の18度にあります。
おうし座というと、どちらかというとモノもお金もため込む、質のいいものが好き、美食家、ゆえに太りやすい(?)といったのが代表的な印象なんですが…
サビアンシンボルという星座の度数ごとの意味合いを見てみると、わたしの木星は「バッグを窓から外へ出している女」
そのものずばり「断捨離」がテーマなのです!!!
ため込む体質のおうし座ですが、一度不要なものを捨てて、すっきりしたうえで、より良いものが入ってくるようにすることを目標とするのが18度のテーマなんですって。
そこに発展の木星がいるということは、定期的な断捨離とリセットが運気を上げるコツだという認識をより大きくしました。
自分の人生はなんでこんなにリセットがかかりまくるんだろう…どうしてこんなに方向性が変わってしまうんだろうとか、どうしてこんなに引っ越すんだろうとか、どうしてその都度こんなにものを減らさなければいけないんだろう…なんて考えていましたが、それがより良い暮らしに発展していくための行動だとしたら、すすんで受け入れられそうです。
確かにモノもそうですが、住む場所、仕事、人間関係、お金と労力をかけるところなどについて、変わらざるを得ない状況になったり、または強く変わりたいと望むことが今まで多々ありました。
それまでの環境を思い切って捨てることで、より成長したりより楽しく生きていけるようになってきたと思います。
対比するとわたしの母なんかは実家から一度も離れたことがありません。
でも別に不満をおおっぴらにいうこともなく、まあ受け入れているようです。
本人が望んだというより、気が付けばそういう方向になっていったようですが、同じ家で生まれ育って(わたしも母の実家で育っています)、同じ家系に一代違いで長女として生まれていても、運命が全然違うんだろうなって思います。
ということで、星にも応援されていることを実感しながら、まだまだ暮らしのリセット、シンプル化、スマートサイジング化頑張っていきますよ★
双子座の女たち。学歴とか、仕事とか、結婚とか。
高速回転気味な主婦の女たち。
今回はわたしも含めて双子座の女性についてです。
(わたしが知っている範囲の狭い世界に限りますが)個人的に興味深い事象について書いてみようと思います。
占星術で双子座を太陽とか水星に持つ人間というのに言われる特徴は、おしゃべり、頭の回転が速い、明るい、言語能力が高い、ノリがいい、軽い、チャラいetc...
風の星座らしく良くも悪くも軽やかな感じですね。
明るくなおかつ弁が立つ人が多いものですから、営業とかマスコミ業界とか向いていそうだし、結婚なんかめんどくさい、楽しく働いて楽しく遊んで暮らしたいなんて言いそうな気がしてしまうのですが、意外と早々に結婚したり、主婦願望が強かったり、のんびり働くスタイルを好んだり、キャリアの道を進まないような人が多い印象があります。
しかし主婦になっても情報収集能力が半端なく、やたらとお得情報をよく知っていたり、家の中でも外でもあくせく動き回っていたりします。
のんびり働くような道を選んだとしても、最終決定をすることはなくてもちゃきちゃき動いて、根回しやいざというとき手助けしてくれそうな人への種まきを怠らなかったりします。
一見すると旦那さんや上司を尻に敷いてしまいそうですが、立てるところは立てて、自信ややる気を削ぐような接し方はしません。でも自然と自分の思い通りになるように仕向けています(笑)。
風星座全般に言えるそうですが、どちらかというと経済的に恵まれた結婚をさらっとする傾向もあるそうので、余裕がありつつも自分の双子座的衝動を実世界で公私問わず活かそうとする感じでしょうか?
そして、頭も行動もスピーディーな一方、あまり責任を取りたくない、重たい立場は嫌だと考えがちなんでしょうね。お給料をたくさんいただくということは基本的に責任が増えるということだから、それは避けたいと考える思考回路なんだと思います。
地星座のわたしが責任取ります!大丈夫!という信頼感や、火星座のやったるでー!という上昇志向、水星座の誰かのために生きたい…!という奉仕の精神とちがい、風星座は良くも悪くもお気楽なのかもしれません。というか双子座がそうなんでしょうね。
責任感がないわけでは決してないのですが、上り詰める!とかよりも楽しさと公私のバランスを重視してしまうんだと思います。
言語に妙に強かったり、読書大好きだったりで、子供のころからなんとなく勉強がそこそこできて、学歴もそこそこつきがちなのが双子座だと思います。
下手に学歴があるばっかりに、キャリア組だと周りに勘違いされたり、自分もそういう生き方をすべきだと思っていたりしますが、向いていないと葛藤が生まれます。
都会だといろんな人がいますが、田舎だと余計に学歴があるのに専業主婦志望だったりすると、え?なんで…?という感じになりがちだと思います。そういう意味では、無駄に学歴があることが自分の心に正直になることを難しくさせるとも言えます。
しかしお気楽系で生きていたいのであれば、ある程度旦那さんに収入がないとお気楽でもいられませんから、そういう人と出会いやすいという意味では、学歴をつけるというのも決して悪いことではないと思いますけどね。
そういう考えじゃない人からみれば、なんて軽率!軽薄!明るく朗らかなふりして打算的!と石を投げられかねないのですが、それが心底性に合ってる人もいれば、絶対そうはならない人もいるわけで。それは双子座に限らずですが、他人に責められることではないと思います。
他人を羨むよりも、自分の心と体が求める方で、それぞれのステージで頑張れればいいんですよね。
自分にとっての必需品を手放す
必需品 なんてないほうが楽チンなんだろうな、と思います。
必需品と決めてしまうと、何が何でも手元に置いておこうとしますよね。なくなるものなら買うし。
だんだんそれがしんどくなってきました。
なので持たずに済ませられそうなら、所有せずに生きようという感じです。
本とか、化粧品とか、服とか、文房具とか、キッチン用品とか、ガジェットとか…以前の激しい断捨離でかなり厳選したのですが、さらに減らしています。
自分がめちゃくちゃ味気ない人間になってしまうんじゃないかとか危惧していなくもないのですが、ブランドに頼らずともわたしはわたし、わたしたちはわたしたち と思える域に達することができたら、一皮むける気がします。今より楽に生きられて、お金も貯まって、自分にとって大切なものを大切にして生きられそうです。
どれだけ見栄を張って生きていたんでしょうね。
見栄を張り続けた結果が、スッカラカンのリッチブック、そして変化を起こしたくても先立つものがないことで意思決定ができないほどのお金のなさでしたから。
それで得られたものなんてたかが知れています。
後悔は先に立たないですから、これからの生き方に活かしていけたらそれで良し、ということにします。
物件探しとお金
お金のことをよく気にする今日この頃です。
毎年蠍座の時期は、お金が気になります。ため込む星座だからでしょうか。
そのくせやりすぎて、我慢しすぎて爆発したり…極端な蠍座の影響を毎年受けている、冥王星蠍座世代です。
以前の記事で、たくさんお金を持ち歩いて自分に自信をつける、「買えるけど、いらないわ」という心の余裕を持たせるのがお金と仲良くするマイルールという記事を書きました。
小さい買い物だと、かなりそれができるようになりました。
今困っているのが、家です。。。
賃貸を借りるつもりでいるのですが。
不動産屋さんでえらい痛い目に遭っています。。。
条件的に(特に家賃面で)まぁ、ほとんど出てこないだろうなというのは承知で探しまくっているのですが、おっこれは…!と目を光らせるような物件があって問い合わせてみると
1.もう契約者が決まっている
2.その部屋は終わりましたと言って同条件の予算オーバーの部屋を見せられる
3.内見前に申し込ませようとする(お金を振り込ませようとするんだぞ…!怒)
4.トンチンカンな趣味の他の物件を紹介される
このどれかでした。そして、彼らは決して悪びれるところがありません。
なんだか足元見られてるようで、とても気分が悪いです。
出すものを出そうとせず、隠れた掘り出し物を漁ろうとする輩には、こんな制裁が下るのか…!と、世間の冷たさを感じたりもした今日この頃でした。
でもさぁ、賃貸なんて自分の資産にならないじゃないですか。
家賃は生活を圧迫させない程度に押さえたいじゃないですか。
でも、電車が死ぬほど苦手な田舎者夫婦、都市部に住みたいじゃないですか。
散歩が大好きだから、歩いて気持ちの良いエリアがいいじゃないですか。
そのぶん狭い部屋でいいと言ってるではありませんか。
なのにこんな仕打ちを受けなければならないのか…世間知らずなのか…
いいカモだと思われてるのか、カモにもならないと思われてるのか。
くたびれました。←
思ったのが、金額の大小にかかわらず、やはり「払えるお金はある。でもあなたのところには払わない。」と思えることで、足元をすくわれず冷静な判断ができるんだなということ。
余裕がなくわらにもすがる思いでしがみついた先に、あまりいいものはないなと。
くっそう、資産家の家に生まれてれば…とか、わたしになにかの技能があれば…体力と強さがあれば…がっつりお金持って、歓迎される客となれるのに。。。なんて思ってしまいました。
それが苦手なのも含めて自分なのにね。
季節の変化と環境の変化(の準備段階)により、不安にかられたりイライラしたり。そういうときに効果的なのは
・運動→忘れられるし、体力つくし、スタイルもよくなる。いいことしかない。
・掃除→すっきり。煩悩が消える。
・断捨離→処分に加えて、メルカリ利用でリッチブックも潤う。
・リッチブックづくり→不安なときはリッチブックの数字を増やして安心させたい。
・ゲンナマ眺め→リッチブック以上に絶大な効果があるのが、たくさんの生諭吉さんに帯同してもらうこと。
それに合わせて11月~12月は少し副業しようかなと思います。
とにかく不安で仕方がなくて。いったん旅行で休職するかもしれないし。
リッチブックも手元諭吉ズも、10万円増やすと少し気持ちが落ち着くかも?
借金あるわけでもないのに、あと2週間以上あるのに、すでに次のお給料日を渇望しています(汗)焦っていますね。。。
正直いま決してよい精神状態ではないなーと思うのですが、引き続き売れるものは売る、売れないものは処分する、休む時は思いっきり休む、入ってくるお金を増やす方向に動いていこうと思っています。
少しでも不安が和らいでくれたらいいなぁ。。。